原告団・弁護団の活動

第1回現地調査

第1回現地調査を行いました。

2013/7/15~16

「被害に始まり被害に終わる」。公害裁判闘争の原点であるその言葉を実践するために、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団と弁護団は現地調査を行いました。
 原告団、弁護団だけでなく、玄界原発、川内原発差止訴訟弁護団やジャーナリストの方など、あわせて60名以上の方にご参加頂きました。

●7月15日(祝)
福島駅集合(10:00) ⇒ 南相馬市・浪江町の視察・聞き取り(13:00~)⇒相馬市(19:00~)

1.南相馬市
 現地調査一日目は、川俣町と飯舘村の様子を見た後、南相馬市小高区に入り同区における畜産業の現状を調査しました。牛舎に着くと、異様な光景を目の当たりにしました。大量に積まれた牛の骨や、大量の死んだ牛を埋めた塚があったのです。生き残っている牛たちも、いまや放射線の影響を調べるために育てられているにすぎず無残なほど痩せ細っていました。
 同市の居住制限区域内にあるお宅も訪問しました。当然、所有者の方は避難されており、誰も住んでいません。とても広く、立派なお宅でした。事故後そのままの状態ですので、本、洋服、壁にかけられた絵などからそこで暮らしていた人たちの事故前の生活をうかがい知ることができました。その日常生活が、原発事故によって一瞬にして奪われてしまったと感じました。



2.浪江町
 つぎに浪江町の帰還困難区域に入りました。福島第一原発の建屋が見える場所まで入ったのですが、原発が民家や学校から驚くほど近い距離にあることに気付きました。
 浪江町の市街地は、まさにゴーストタウンでした。街並みは一見して普通です。しかし、全く人影がないのです。新聞店を覗くと、3月12日付の朝刊が山積みにされていました。そこでは、3月12日で時間が止まっているのです。


3.相馬市
 その後、相馬市に行き、浜通り農民連が中心となって立ち上げたNPO法人「野馬土(のまど)」の農産物直売所を訪問しました。直売所は放射能検査室を備え、持ち込まれる野菜を検査しています。自分たちの農業をめちゃくちゃにされながらも、安心・安全な農業のために前に進む農民の方たちの逞しさを感じました。
 移動時間を利用して、高校の先生のお話も伺うことができました。事故後しばらくたってからサテライトにより授業が再開したが、避難により子どもたちはバラバラになってしまったこと、その子どもたちは原発事故で地域や生業が壊され未来に展望をもてなくなっていることなどが語られました。


●7月16日(火)
相馬市・原釜漁港視察・聞き取り(9:00)⇒ 伊達市霊山町・原木シイタケ農家視察・聞き取り(11:00)


4.相馬市
 現地調査二日目は、相馬市の原釜漁港で試験操業の様子を見学しました。海が放射性物質によって汚染されているため、試験操業しかできません。しかも漁獲できるのは水ダコとツブ貝だけです。その他の魚からは、高い値の放射性物質が検出されるからです。買取価格も低く、漁師たちは借金を重ねながら操業しているそうです。なぜ、借金を重ねてまで漁をするのか。それは、漁が生業だからです。漁師は漁でしか生きていけないからです。

 そのような漁師の苦境の横で、いわゆる箱物である護岸工事が大量のお金を使ってドンドンすすめられていました。あるべき復興とは何なのか、考えさせられる光景でした。


5.伊達市
 伊達市霊山町の椎茸栽培農家では、深刻な事故被害をお聞きしました。これまで栽培に使っていた福島県産の原木が使えなくなったこと、厚労省の栽培マニュアルどおりに栽培することは大変苦労することなど、椎茸農家は苦しい状況にたたされています。これまでは、桑畑で力強く美味しい椎茸を栽培できたのに、今ではビニールハウスでしか栽培できない悔しさも語っておられました。
 しかし、農民の方たちは、ここでも前に進んでおられました。農民連による太陽光発電の設置です。自分たちの生業を壊した原発に替わるエネルギーを自分たちで作りだそうとしているのです。


 今回の現地調査では、原告の方をはじめ多くの被害者の方のお話も聞くことができました。被害を語ること、それはとても辛いことだと思います。生業や地域を奪われた怒り、家族と離ればなれになってしまった悲しさ、今も放射線に怯えながら生活する不安などを言葉にして他人に話すことは並大抵のことではありません。しかし、今回お話をお聞きして、被害は被害者しか語り得ないものだと実感しました。
 原告団・弁護団は、今後も現地調査を実施していきたいと思っています。たくさんの方のご参加をお待ちしております。